石鹸の原点 呉先生

呉先生

理想の洗顔料を開発するにあたって美容成分たっぷりの石鹸という形で実現できたのは、とても大きな力添えがあったおかげです。それは韓方医である呉先生のご協力でした。お肌にとってベストな状態へ導いてくれる洗顔石鹸としての原点は、この呉先生が多くの患者さんへの治療で培ってきた調合ノウハウにあります。その源流にある呉先生の治療への強い信念や溢れる優しさを感じさせるいくつかのエピソードをご紹介したいと思います。

呉先生の治療ノウハウを石鹸に

自分が理想とする石鹸を作ろうと決心した時に、最初に思い浮かんだのが「呉(オ)先生」のことでした。呉先生は、韓国でダオル韓方医院の院長をされているお医者様です。私が体調を崩し、苦しんでいた時に、救ってくれた先生でもあります。

呉先生が患者さんに施している皮膚治療、お肌の痛みや傷なども治すことのできる独自の韓方の調合ノウハウを石鹸作りにも活かせる道はないだろうか。思いついたら即行動! それが信念の私はすぐに韓国に飛びました。

 

日本では、お顔の悩みでしたら皮膚科や美容クリニックに行きますが、韓国では韓方病院での治療も可能。しかも、草や木などの自然の産物を使って治療を行います。

「呉先生と話したい、聞いて欲しい」ただその思いだけで忙しい先生に何度も何度もアポを取り、話を聞いてもらうチャンスを作ってきました。 先生は忙しい方なので、話を聞いてくれてはいましたが、途中、患者さんの治療などで何度も席を外されます。そのため話も振り出しに戻ってしまい、なかなかじっくりと話せません。

けれど、私は諦めませんでした。まず先生の弟であるインハン氏に協力をお願いしました。それも、最初は駄目でした。なぜなら先生は医者であり、商品を開発するという話には興味がないからとのことでした。

確かにそうです。先生は利益目的では絶対に動く方ではありません。ですから、私はこの思いがねじ曲がって先生に伝わらないよう必死に考えました。

 

そこでまず、私の身近で苦しんでいる人を韓国に連れていき、治療してもらうことにしました。

1人、2人、3人、5人、10人‥‥先生は的確に病状を当て原因を探り、飲み薬、塗り薬、針治療など、私の連れてきた患者さんのために手を尽くしてくれました。

私は自分の治療のために通院しながら、先の患者さんの経過を先生に伝えることが多くなり、先生も私が行くと『あの患者さんの薬はあっているか? あの患者さんは痒みはどう? あの患者さんの痛みは?』などと気にかけて下さいました。

 

ある時、「先生みたいなお医者さんが日本にたくさんいたらいいのに」と伝えたところ、「私が必要ならいつでも日本に行きますよ。たった一人の患者さんでも必要としているなら呼びなさい」と先生がおっしゃいました。

その言葉に私は、「先生、韓国に来たくても来れない人はたくさんいます。私のお店にも肌に悩んでいる人がたくさんいるんですよ。できることなら、私はお店のお客さんを全員ここに連れて来たいです。でもそれは不可能です。せめて私の大切なお客様のために先生の力を貸していただけないでしょうか」と今まで抱えていた思いが言葉になって出てきたのです。

先生は私の目をじっと見てこうおっしゃいました。

「あなたは私が必要なんですね。では私はあなたに100%協力しましょう。あなたが大切な人のためにしたいことならね」

その時、私は恥ずかしながらも泣いてしまいました。 溢れる涙ってこういう時に出るのだと思いました。しばらくは何度もその瞬間を思い出し、同時にお店のお客様の顔や「諦めないで頑張って‥‥」と応援してくれたスタッフ1人1人の顔が思い浮かびました。「日本に帰ったら皆に早く話したいっ!」そんな思いで胸が高まる夜だったことを今でも鮮明に覚えています。

 

そして、これがダオルエステティッククリームソープが最初の一歩を歩み始めた日だったのです。

 

 

呉先生からいただいた名前

呉先生から石鹸作りへの協力を許可されて帰国する飛行機の中で、私は考えました。

先生が私の思いに対して協力してくれる。そのことだけでも凄いことです。では、今の私に何ができるのか、

理想の石鹸を作るために、そして呉先生のいるダオル韓方病院のために何ができるのか?

 

その時、韓国にいるたくさんの難病患者さんが頭に浮かびました。病院は何十人もの難病治療費を負担しています。寄付をしよう。

石鹸の売り上げの一部を難病に苦しんでいる患者さんのために寄付をしよう。そう思いました。

この石鹸ができるまで、先生と長い長い道のりを歩んで来ました。サンプルができて、お店のお客様に試していただきました。

スタッフ1人1人にも同じように試してもらい細かく評価を書いてもらいました。

本気で取り組んでたくさんの人に助けていただき、協力していただきました。

 

なぜ韓国?という質問があったとしたら、私は胸を張ってこう答えます。それは「韓国に私の全ての原点があったからです」と。

 

呉先生から『ダオル』という、韓国語で「福がくる」という意味の名前をいただきました。

ダオル= DaALL。

韓国語で「다(ダ)」は「みんな」という意味、オルは英語で「All」でやっぱり「みんな」という意味から、「みんなのために」という呉先生の思いも込められています。

 

キレイを維持したい、キレイになりたい! そんな思いを持った、“みんな”のために生まれた石鹸です。私はこれから韓国の呉先生にいただいた、思いの原点と、名前の意味を忘れることなく石鹸1個を手に取るお客様のために頑張っていきたいと思います。

 

 

お忍びで来る日本のお医者さん

私がいつものように韓国に治療に行った時のことでした。

指定されていた治療時間よりも早く病院に着いてしまい、入り口でウロウロしていたところ、先生の弟さんで病院の理事長でもあるインハン氏に「千晶さん、こちらにいてください」と声をかけられ、院内ではない理事長室に案内されました。

 

その際に、誰かの話し声が耳に入ってきたので、インハン氏に聞いてみると「日本から患者さんが来てるんです」とのこと。

それを聞いた私は「じゃあ、その方が帰る時に日本語でご挨拶できますね。なんだか韓国で日本の方と会えるのは嬉しいです」と言ったのですが、インハン氏は「それはできません、その方たちは6人いるのですが、全員お医者様なんですよ」とおっしゃいました。

 

私はその言葉を聞いて、「なるほど」と思いました。

西洋医学のお医者さんにもプライドがあるでしょうし、でも自分の体のことを考えた時に、何が本来の治療なのかということを知っているのだと思ったのです。

 

 

症状と原因を診る呉先生

私の治療は、韓国で一ヶ月に1度の針治療と問診です。それ以外は毎日お薬を3種類飲みます。でも、問診で状態が良ければお薬も変わり針の位置も変わってくるのです。

お薬が美味しくなるわけでも、針の本数が減るわけでもありません。先生はいつも私の身体そのものを見て変えていくのです。

私の病気は腎盂炎です。慢性膀胱炎もあります。治療をしているうちに周りから「千晶ちゃんやせた?」「千晶ちゃんメイク変えた?」「千晶ちゃん肌が白くなった?」などなど言われることがありました。とくに腎盂炎が治りはじめた頃はよくそういった声を耳にしました。私は腎臓の治療なのに、なぜ、みなさん肌のことやスタイルのことを言うのかとずっと疑問に思っていましたが、一人の少女の姿を見ていてその答えを知ったのです。

 

治療のために私が韓国へ行くと毎回病院で見かける少女がいます。おそらく7歳から8歳くらい。初めて彼女を見た時は、椅子に座ったり立ったり、変な声を突然あげたり、よだれが垂れていたりととにかく落ち着いていませんでした。それなのに、ほんの少し横に移動するだけでも自力では歩けませんでした。

しかし、私が月に1度の韓国治療で見かける度に何か違うのです。数ヶ月前は横移動だったのが、次に見かけた時には前に進むのです。けれど、まだちゃんとは歩いていません。ヒザをつく感じです。でも目もまっすぐな視線になっています。よだれや口元は以前と変わりませんが、落ち着いています。

またまた次に会った時はじっとしていて大人しく座っていました。そんな風に変化する彼女を治療のたびに見かけていたのですが、この前は本当にびっくりしました。カウンターまでつま先だけで歩いているのです。それも前に!スピードも速く、カウンターのお姉さんに何か話しかけていました。

 

後から知ったのですが、その子は西洋病院で見放された俗にいう「難病患者」だったのです。ご両親は普通の家族。お父様は公務員、お母様はパートタイマー。ずっと西洋病院で治療を受けていましたが、日に日に言葉が話せなくなり、歩けなくなり、移動は車いすになっていました。

先生の話によると、西洋の病名は医者が原因不明と判断した場合、「難病」になるそうです。そして呉先生は私に言いました。「『難病』とつけられた病名は病名ではない、東洋では人は全てに原因とその病名がある」と。また、「人間は五臓六府と神経、筋肉、ホルモン、免疫、骨を司り生きている、部位を特定してその場所だけを見るのではなく、東洋医学とはその患者さんの痛みの原因を探り、痛みを代わることが出来ないからこそ、その苦しみから解放してあげれるよう手助けをするのが東洋の医者だ」とも。

「五臓六腑のどこかに原因があり、今ある痛みの部分だけを診てはいけない、内臓全てを診なくてはいけないんだよ」と教えてくれたのです。

 

それを聞いて私は凄く感動しました。先生の言葉に曇りがないんです。大きな存在感のようななんとも言えない感覚に襲われたことをよく覚えています。先生はよくヒザが痛い、という患者には股関節に針を打ちます。また腰が痛いという患者には肩と首に打ちます。絶対に患者さんが痛いという場所には針を打ちません。そういえば私も針の位置が『すね、恥骨、胸の中央』です。きっと先生には原因がある場所が見えているのでしょう。

 

先生は韓国でもとても有名な先生です。毎週水曜日には西洋の病院で講義を行い、他のお医者様にも教えています。また漢方専門誌を書くライターさんの原稿をチェックし、たくさんの相談も受けています。そんな忙しい合間を縫って、この少女の治療を週に2回しているそうです。彼女はじきにつま先歩きからかかと歩き、そして最後には普通の子と同じように歩くことが出来るようになるそうです。ご両親が西洋治療から東洋治療医踏み切った勇気が我が子を助け、そして呉先生の力が加わって普通の女の子に戻れるのです。ちなみにこの少女の治療費は病院が全て支払っているそうです。治療に付き添うご両親はいつも帰り際に先生の手を握りしめています。そこには言葉はありませんが、私には感謝してもし尽くせない想いの言葉が聞こえてきます。

彼女が歩く姿を見たくて、偶然出会える日を楽しみにしている私です。

 

 

呉先生、顔じゅうハチにさされる

私は病院での治療が始まる前は先生の弟であるインハン氏の部屋に行き、コーヒーを飲みます。

ある日いつものようにコーヒーを飲みに行くと、先生が部屋に入って来たので、私は「おはようございます」って言おうとしたら、先生の顔が腫れ上がっていてびっくりしました。

 

どうしてそうなったのか聞いてみたら、「患者さんの薬を作るため、ある山にしかない薬草を採りに行った際に蜂の巣を触ってハチに追いかけ回された」と笑っていました。いやいや、笑い事ではないんです、顔が‥‥。

 

先生は私にこう言いました。「自分の命ある限り、患者さんが本当に苦しんでいる時に薬草を採りに行くことができない医者は医者ではない、病院に無ければ取りに行けばいい、痛みは待ってくれないでしょ」と。

 

私は他の人に頼めないのかと聞いたのですが、先生は「頼めないよ。そこは私だけが知っている場所だから」と言いました。他の人に教えたりすると、採ってはいけない根っこや葉までなくなり、また来年にその薬草の芽が出なくなってしまうそうなのです。

 

植物によって、冬は葉だけ採る、春は茎だけ採る、などと考えながら採集しなくてはいけないそうです。植物が患者さんの命を繋いでくれるものだからこそ、その植物の命を無くしてはいけないそうです。納得しましたし、感激もしましたが、先生のお顔が‥‥(泣)。

 

 

呉先生の左目が見えない理由

呉先生は左目が見えません。以前、先生が日本にいらっしゃた際に、先生が昔は卓球の選手だったと聞いて、一緒に卓球をしたことがありました。実は私も卓球選手でしたので、お手並み拝見!!といった感じで、かなりの本気勝負をしました。

 

しかし、ラリーを続けていくと、先生にはなぜか空振りがあるのです。それも同じ場所にボールが落ちる時に限って、空振りになるんです。それに気付いた私は「ラッキーラッキー先生、苦手なんだ!」なんて陽気にそのコースを攻めまくり、結果はもちろん私が勝ちました。上機嫌でゲームが終わった後に「先生、右ストレート苦手でしょっ」なんて言っちゃって‥‥鬼の首を取ったみたいになっていたんでしょうね、私。

 

そしたら先生は「そうなんだよ、よく分かったね。私は実は左目が見えないから、そこにボールが来ると見えないんだよ」と言うじゃないですか。 私、最悪です。勝負に勝ったどころか最低です。なぜ、先生の左目が見えなくなったのか聞いてみると、自分がまだ若くして医者になった頃、患者さんの目を治す薬を作った時にそうなった、と言うのです。

 

先生は患者さんに新薬を飲ませる時は必ず自分が試すそうです。ところが、ある薬草の配合が多すぎたことがあり、自分の目の視力を失ったそうです。視力を上げる薬を作るはずが視力を失ってしまった先生。でも、その薬はお蔵入りすることなく、現在は緑内障や白内障の点眼薬としてたくさんの患者さんの目を治しています。

 

先生は「失ったものは大きいけど、その犠牲があったから今の患者さんはいちばん幸せだよ」と眉毛を下げて、笑っておっしゃっていました。

 

 

ダオル韓方医院は呉先生そのもの

ダオルとは韓国語で「福がくる」という意味で、また韓国語「다(ダ)」は「みんな」という意味、オルは英語で「All」でやっぱり「みんな」という意味から、「みんなのために」という呉先生の思いが込められています。

 

「全ての人が平等で等しく健康でいる権利がある。私は神ではない。しかし、患者さんの痛みを理解し、苦しみを共に感じ、医者である限り全ての人を助けていきたい。患者さんの為に生きていきたい」

そんな想いが込められた病院の名前と聞きました。

 

また、私は先生に質問したことがあります。それは「生まれ変わったら何になりたいですか?」と。

先生はすぐに「また医者になります」と答えました。なりたい、のではなく、自分の意思で、また医者になるんです。

 

「じゃあ、先生は1番リラックスするのはどんな時ですか?」と聞くと、「大きな木の下で気功をすること、山に登り薬草採取すること」と返ってきました。

 

もう、普段から完全に医者なんです。でも、「子供の頃はいたずらっこだったのかな? それとも‥‥」なんてどんどん興味が出てきたので、身内の方に聞いてみようと思い、弟のインハン氏に「先生は小さい頃どんな子供だったの?」と聞いてみました。すると、「しょっちゅう山に行っては草を食べて下痢したり、木に登って落っこちたり、暗くなっても帰ってこなくて行方不明になったりね」と返ってきたんです。

 

私はもう笑いを堪えきれなかったです。だって、今と変わらないから。ハチに追いかけられたり、日本に来ても珍しい植物を見るとすぐに食べちゃうし、先生いない!!と思うとお店の前にある木の下で気功のポーズをとっていたり。そのままなんです。

 

呉先生は患者さんのためにこの世に生まれて来た気がします。日本にもこんな先生がいたらいいなって思ったこともあります。それも身近にいてくれたら、と。先生を見ていると疲れないのかな、ご飯食べてるのかな、と心配になります。

 

先生の病院では待合が患者さんで溢れてしまうので、椅子に座れない人は床にしゃがんでいます。先生は食事を取る時間がほとんどないほど忙しいです。病院では先生のシルエットを2回見れたら多いくらいです。

診察室はたくさんありますが、いつもどこに先生が入っているのか分かりません。突然診察1から診察室3に出てきたり、突然いなくなったり‥‥

それと余談ですが、何年か前に病院の床はすべて畳に変わりました。診察室の中も受付内も廊下も待合室も。その理由はたった1つ。

待つ患者さんが下に座っても痛くないように、ベッドが怖い患者さんは下に座って診察ができるように、もし転んでも危なくないように、そして滑らないようにです。病院に敷き詰められた畳は綺麗なカウンターとはアンバランスです。

 

でも、そこには呉先生の愛がいっぱい敷き詰められているような気がします。

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